はじめに
本記事はKINKI KNIGHTS GWアドベントカレンダー10日目の記事です。
担当は代表のあるみめんべいです。
みなさん、ロボコンたのしんでますか?(ド直球)
冒頭の画像はAIに書かせた「ロボコン わいわい 大勢 ロボット たのしい」の絵です。普通にプロンプトがミスです。
※本内容でかなり皆さんに質問していますが、内容については遠慮なくぜひリポストやDM(できれば本内容は代表直通でお願いします)に投げてください。ロボットコンテストについて思うこと、こうなったらいいなというような理想などありましたらぜひ共有してほしいです。
目次
- 自分の人生における「ロボコン」とは?
- いろんな「ロボコン」のかたち
自分の人生における「ロボコン」とは?
さて、みなさまにとって「ロボコン」とは何でしょうか?
いや、突然なんだと思われるでしょうが…。現在代表は「教育工学」をメイン分野に、ロボット教育に関する研究をしています。(実は工業科教育のための教材開発・研究もしています!よかったら論文探してみてください)
ロボコンは私にとって、人生の半分の時間を使ってまで取り組んできたもので…。ふと、学生生活が終わったその先に何があるのだろうと節目の際に考えたりしました。それこそ、中学ロボコン引退した後とか、高校でものづくり(ロボット競技)部を辞めてしまった後とか、大学選びの時、プロジェクト引退時、大学院に行くことを決めた時…。
私の人生の中で「ロボコン」とは何だっただろう?
もし誰かに聞かれたとしたら、「ロボコンに出たくて、そのための人生だった」と答えるしかないことに気がついてしまいました!
ロボコンに限らず趣味やスポーツでもそうですが、何事にも終わりが必ずあって、諦められなかったとしたら、その先に新たな目標を立てて、その目標を超えることで過去の自分をも超え、昇華できるのでは…。
それが、ロボコンにおいては「うーん、この大会では結果が上手く出せなかった、この経験をもって、他のロボコンで頑張ろう!」という流れに向かえてしまうんですよね!!!で、結果が良くても悪くても、「たのしい!!!ロボコンたのしい!!!」と依存していくんですよね?いや私はわかんないですけど…。え?そんな疑いの目で見ないでほしいです…。
今の「ロボットコンテスト」の遷移として、教育が主体のものから趣味、あるいは交流といった多様な目的を軸とした大会が多くあると考えています。社会人になっても、娯楽趣味、勉強目的として「ロボコン」に取り組むことができ、その中で学生と社会人が交流することで新たな人脈、知見が得られ、より互いの学びと経験が豊かになる…こうした部分は良い点であり、かつひとつの醍醐味であると思います。
一方、「ロボコン」を終えたその先で、ものづくりが「嫌い」になってしまうという可能性も秘めているのも事実であると考えます。人間上手くいかなかった経験は上手くいった経験以上に引きずりますから…。私もそうですし。または、社会人となった時に必ずしも好きな仕事ができるわけではないこと、「ロボコン」で得たすべての経験が活かせる仕事につくことが必ずしもできないこと…。そういった理想のものは「ない」ことはないのですが、それらに「出会う」というのは「運」次第ではないでしょうか。ロボコンでの戦況・勝敗においても、技術力・戦略、そして「運」が味方するかによって左右されるのと同じで…。極端な話、ロボコンは「勝敗の決まる試合」ですが、人生はそうじゃないですからね…。
主に教育工学的視点から、ロボコンを「技術者教育」以上に「人とのつながり」に焦点を当て、弊団体の設立時と同様、「環境やこれまでの経験にとらわれずにものづくりに取り組む」ことができるようにするにはどうすればいいか?ということを研究題材として取り組んでいます。(言える範囲で分かりやすく言うならこんな感じです…)
いくつか論文を引用しつつ、これまでのロボットコンテストについて考えてみます。
いろんなロボコンのかたち
「叙事文と命令文だけの今日の教育の中に、感嘆文をとりもどそうとしたのが、この催しの動機である—(以下省略)」森 政弘 - “ロボットコンテストの意義と願い”,日本ロボット学会誌 1997 年 15 巻 1 号 p. 2-5
ロボットコンテストの生みの親、森 政弘先生が、1990年のロボコン用パンフレットに記した一文(のさらに一文)です。
始めは単一乾電池1つだけで、人を乗せた車を走らせようという競技が、今や気が付けばバドロボミントンしてたり、ラグビーしてたり。二足歩行ロボットの格闘技や、ロボットがお菓子を運んだり。競技形式で勝敗の決まるロボコンだけでなく、ロボットの性能、ロボットを用いての課題へのアプローチを評価するロボコンもあります。災害救助を題材としたロボコンでは、決められた基準をもとに評価が出されます。
高専ロボコンといえば、私は大量の飛行機がばらまかれていた禁忌近畿地区のとある試合(あれ試合終了後でしたっけ、まだどこかに動画転がってたら見たい)がとても印象に残ってます。そんな高専ロボコンでは、順位による勝敗においての「優勝」とは別に、ロボコンの趣旨にもっともかなった機体に対して与える「ロボコン大賞」という枠があります。その機体とは。「新鮮な創造性、未来を開く技術的工夫、その実現の苦心」を評価され、選ばれるものです。ロボコンの由来は学生が希望を見出せるように、そして「過程」によって「結果」を得るというサイクルによって工学分野の学修を深め、ものづくりの楽しさを身をもって体験することができる「方法」として考えつかれたものと解釈しています。この時、森先生は若者の「希望」について解決する方法はないかと視点を当てていました。森先生の理想通り、令和となった今ではたくさんのロボコニストが多様な課題に挑戦し、その過程を楽しみながら、技術者としての力を身につけていくサイクルが確立されています。
しかし、きれいごとではなくロボコンは勝敗がすべてでなく、ロボコンは「勝つ」ことが目的ではなく「勝つための過程」で何を得たかが重要ではないでしょうか。結果はあっても、分かりやすい話でガクチカ書こうと思ったら、「ええと…僕は…大会で入賞したけど…何してきたっけ?」となってしまえばあんまり意味はないのかなと。賞を取ることに満足、それがゴールなのであれば問題ありませんが…。ロボコンに取り組む人の目的は様々です。就職で言えるから、人と何かに挑戦したいから、そもそも目的はなく、何となくやってみているとか。
特に過程を重んじる(評価される)のが教育機関内で行われるような、校内ロボコンであったり、授業でのロボコン形式による取り組みだと思われます。土谷 圭央先生の「学生・指導者視点でのロボットコンテストと教育」という論文において、「選手」と「指導者」両方の立場からの記述があります。
その中でも得に私が重要と感じて、かつ当たり前と認識はしつつも誰しも上手くやれているとは言えないのが、「限られたスケジュールの中で、実現可能なアイデアを実装する」という点です。
本当に当たり前かつ大前提みたいなことですが、ロボット製作を進めるうちに、どうしても「理想」と実際に自分の持ちうる技術力…「現実」との差に乖離が生じるんですよね。1人で考える上では差は明確に出せる(自分を過信していなければ…)はずですが、ロボコンの多くは集団競技と言えるでしょう。集団でアイデア出しすると、話が盛り上がっていつの間にかチームの技術力を超えたアイデアが生まれちゃった…。というのは珍しくない話だと思います。
授業内ロボコン等では授業回数の制限もわかりやすいので、余計にスケジュールについて意識しながら取り組んでいくことができる…その経験がのちの課題解決にも活かされる、多くの授業(講義)においては「ものづくりの過程」を知ることに焦点をあてたものが多く、上級生科目で言うと「これまでの学びを活かしてつくってみてね!」という目的設定になっていたりします。さらに、勝敗ではなく製作過程とコンセプトに対する評価が個々の学業成績となっていくため、経験という抽象的なものだけでなく、わかりやすく「成績」という形に残る評価が得られるのは、教育手法として良いものであり、学習者としても成功体験として意識することができると考えています。
参考文献
論文:“ロボットコンテストの意義と願い” 森 政弘-日本ロボット学会誌 1997 年 15 巻 1 号 p. 2-5 論文:“学生・指導者視点でのロボットコンテストと教育” 土谷 圭央-日本ロボット学会誌 2020 年 38 巻 9 号 p. 793-796
最後に
ぜひ、皆さんにとっての「ロボコン」とは何か、良かったら教えていただきたいです。(DMでもいいですし、リポストなどでも。)
普通にこれに正解はないと考えます。今後今あるロボコン、これから開催されるかもしれないロボコンがどのように変化して、社会にどう影響を与えていくのか。それが技術者にとって、技術を学ぶ人にとって、社会にとって良いことなのか悪いことなのか。人や立場により見方は違うので、私はその中でも「学び続ける人」の視点から、ロボットコンテストというものについて研究を進めたいと思います。また、関係者各位におかれましては実証実験等でご助言、またはご支援いただくことになりますが、もしこの記事を読んでおりましたら、この場を借りて今後お付き合いくださいますと幸いです。
それでは、本記事をもちましてKINKI KNIGHTSのGWアドベントカレンダーは最終回となります!
今回出されたテーマについて、続編が出されるものもありますのでまた是非見てみてください!
KINKI KNIGHTSはいつでもロボコニスト、ものづくりに興味のある方の入団をお待ちしています!